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ただ読みダイアリー(22)  

鴻上 尚史 「ヘルメットをかぶった君に会いたい」。5月に出て、すぐに図書館に予約、三ヶ月かかってようやく手許にやってきました。先日読了。


ヘルメットをかぶった君に会いたい

この本は個人的にとってもお奨めなので、ネタばれの可能性のあることは極力書きません。ひと言で言えば、60年代後半から70年代初頭にかけてこの国を席巻した学生運動に対する、「遅れてきた世代」からの熱烈な憧憬を、赤面するほど率直に吐露した作品です。

氏は1958年生まれ。私の二つ年上になります。一浪して早稲田大学法学部に入学したそうですから、大学は異なりますが、大学生としては私と同時存在したことになります。私たちが大学に入学したころは、学生運動はすっかり過去のものとなり、全国の大多数のキャンパスには、もはやその残り火すらくすぶっていない状態でした。

連合赤軍事件を最後に、わが国の新左翼運動は、分裂と混迷を極め、敵対党派間での殺人テロルの応酬に明け暮れる、陰惨な状態に成り果ててしまいました。鴻上氏が在籍した早稲田大学では、その中でも特に腐敗極まったある党派(作品中はM派とされています)が、活動資金稼ぎのために自治会を私物化し、その独裁体制を維持するために大衆運動に対してさまざまな謀略、敵対的妨害を繰り返すという、腐臭ふんぷんたる状態にあったようです。(私の弟が同時期、早稲田大学理工学部に在籍していたので、そのころの早稲田大学の状況についてはいろいろと聞かされたことがあります。)

そんな中で学生時代を過ごし、劇団を立ち上げ、一定の成功を収めた氏が、今になって学生運動に対する憧憬を語るというのは、いかにも唐突な印象を受けます。しかし、氏にとって学生運動は、いまだに「燃え上がる一瞬の人生」の象徴にほかなりません。権力への反抗、国家の暴力に対する抵抗、社会の変革といったものが、抽象的な綱領やスローガンではなく、個人が生きる意味を具体的に問うことに他ならなかった時代が、この国の、鴻上氏や私が生きた時代のすぐ隣に、存在したのだということは紛れもない事実なのです。そのことを、今一度思い起こす必要があるのだと、氏は主張したいのでしょう。

既存の価値が次々と崩壊し、自分が一体どこに帰属しているのかも、どこに価値観の中軸を置いて生きるべきなのかもわからなくなりつつある現在。

インターネットが全世界の人々の全生活領域を覆いつくし、かえってつながることと孤立することの区別が見えなくなった世界。

戦争ですら、国家間の争いから国家と個人(その延長としての組織)の間の問題となってしまったように、国家と個人(組織)の境界が曖昧化しつつある現代。

そうやってすべての問題がどんどん抽象化する今日にあって、リアルなものとは一体何なのか、我々は一体何を追い求めて生きていけばいいのか、その答えの一端が、学生運動の嵐の中で美しく微笑む「君」の笑顔と、その後の「君」の人生の中にあるのではないかと、氏は考えるのです。それを「遅れてきた世代」のセンチメンタルな懐古趣味と片づけてしまうことはできないのではないでしょうか。

氏とは大学が異なることで、学生運動に対する関わりがずいぶん異なる私ですが(この点はここでは触れないでおきます)、同時代を生きてきた人間として、強く胸に迫ってくるものがありました。私は最終ページを読んで、恥ずかしながらも落涙してしまいました。これはわかる人にしかわからない小説かもしれません。そして、わかる人には実に切実な内容を持った作品だと言えるでしょう。

形式の面でも、虚構と現実、脚本と小説が入れ子状態になり、ぐらぐら揺れるような感覚を味わえる、なかなかよくできた小説だと思います。

わかる方に、是非ご一読をお奨めします。

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